2014年11月9日日曜日

幸福の科学大学の設立にお布施した方へ

中には10万円単位、100万円単位でお布施した方々もいらっしゃるでしょう。

皆様は「自分は良いことをしている」と思ってお金を出したはずです。

もちろんお金を出すこと自体は悪いことではありませんが、それだけで良い行動であるとは言い切れないのです。

その行為を良いものにするためには、まだ行動が不十分です。

お金を出した人は「そのお金が本当に正しいことに使われているかどうか」をよく確認し、チェックすることが必要です。

社会では、寄付を受ける側はそのお金の使途を明らかにする義務があります。

大学を作るためにいくら必要で、あといくら足りないのか。その計画性は十分かどうか。

今、どのくらい集まっていて、何のためにどのくらい使っているのか。その使い道は妥当であるかどうか。

そういったことを公表する義務があります。そうしなければ、そのお金が目的以外に使われたり、無駄なものに使われる可能性があるからです。

もしそうなった場合、お金を出した側は目的にかなった使い方をするよう相手に求めるか、あるいはお金の返還を求める義務があります。それが社会のルールです。

だから、もらったお金の使い道を公表しない団体は、それだけで不誠実であると言えるのです。

幸福の科学はお布施の目的は示してくれますが、その使い道の詳細を(数字で)明らかにしたことは一度もありません。

これは社会から見れば極めて不誠実なことなのです。

もし今言ったことを聞いて、「寄付と布施は違う。宗教はビジネスではない。宗教性が大切である。」とか「主が創られた団体を信じていない。信仰心が無い。」だとか「見返りを求めてはいけない。それは執着だ」などという考えが頭に浮かんできた人は、あまりにも幼稚で社会的な常識がなさ過ぎます。

そういう人は、そのお金が悪いことに使われたときに、その悪いことをした組織の共犯者になる可能性だってあります。そういう可能性をなくすためにも、お金の使い道について厳しくチェックする責任があるのです。

私も、学生時代から幸福の科学の考え方で生きてきたので、30代後半まで、本当に社会のことを知らなすぎました。

「世の中が良くなるためなのだから、お金を出すことは良いことだ」という単純な考え方が、かえって自分が知らないところで悪を生む原因になることもあります。

お金を出せば、それで終わり、なのでは無いはずです。行動には責任を伴うのです。

もし本当に世の中を良くしたくてお金を出したのであるならば、どうしてそのお金が正しく使われているかどうか確認しないのですか?

そのような行動をとらない人が、「自分は正しいことをしている」と主張することは、自分に嘘をついていることになります。

もし「幸福の科学は正しいことのためにお金を使っている」と主張するならば、その根拠を書類で、数字で示す義務があります。そのために領収書というハンコ付きの書類が存在するのです。

そのような証拠が無いまま動いた金のことを世間では「使途不明金」と言うのです。

4 件のコメント:

  1. いつもブログを拝見させて頂いております。
    お布施のことですが、少し気になりましたので、コメントさせて頂きました。

    この世的な行為でもって、また考え方でもって、この宗教的お布施を理解する事は出来ないのかも知れませんね。
    もちろん、ここで述べてあることは一般論で有り、至極当たり前なことではありますが、宗教的な考え方ではないようですね。

    このお布施に関しての理解は、とても難しいものかもしれませんが、私は色んなお布施の経験を積みながら、宗教的悟りみたいなものを掴んでいきました。

    お布施をする。または、お布施をした。と言う考え方もありますが、
    お布施をさせていただけるありがたさ、と云うものもあります。

    その心の態度により、お布施に対する天上界の価値が違ってくるようですよ。

    この地上で、主の御存在の時のお布施は、主に直接お布施させて頂ける、ありがたい奇跡の行為なのです。
    その素晴らしいお布施を、この世的な価値にすることなく、崇高な行為のままでありたいものだと思います。

    お布施もまた、修行と考えて、お布施をしたときの自分自身の心を見つめながら行うことにより、お金に対する執着や、自分自身の間違った考え方というものを発見し、更なる悟りの向上へと繋がるものです。
    どうか多くの方に、このお布施という行為を通して、宗教的境地を味わって頂ければと、祈念する者であります。

    ビーナスのKU

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    1. たこなぐり2014年11月11日 8:31

      お布施については管理人様に賛成します
      不合理なれど、我信ず。私には難しいです。
      修業として宗教的境地を味わっておられるのは、素晴らしいと思います。
      私にはそこまでの強い信仰がありませんので、ある意味うらやましいです。
      今の政党や学校、私には無駄金に見えます。

      教祖や職員の言動や行動が、どう見てもズレているように感じます。
      一言で言えば、「気に食わない」ですが。
      今後とも三宝帰依と四正道を維持されることをお祈りします。

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    2. ヴィーナスのKUさん、こんにちは。
      布施に関する幸福の科学の考え方をわかりやすく書いてくださいました。
      私も熱心な信者だったので、少なからず「宗教的境地」を味わっていたつもりです。

      精舎でお布施したあと、瞑黙の時間を取ることもありますね。
      そのようなとき、私は天上界から光を浴びたような感覚になり、天使が私を祝福をしてくれている、というイメージを持ちました。
      そしてじっと集中していると、目の前に大きな仏の姿が出てきました。
      そしてその仏は、私が布施したお金が他の人々の幸福や笑顔へとつながっていく様子を次々と見せてくれました。

      このようなイメージは今も自宅で自由に見ることができます。
      しかし、私があるとき知った現実はこのイメージとは大きくかけ離れたものでした。

      私が幸福の科学で得たものは、豊かな想像力だったのかもしれません。
      そして、この全く根拠の無いイメージが私を現実から目を背けさせ、長い年月の間、ウソの情報を真実だと思い込んで生きてきた理由だと思っています。

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  2. ビッテンフェルトに一理ある

    10万100万のこんまい金ならともかく
    何も考えず純粋に布施ろと言われたら、銀行レベルの支援はできない
    それも執着であると解釈するなら、そのレベルの執着をとれる御仁に会ってみたいものだ

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